本文を読む前に、みんなで話し合おう。
1. あなたは、どちらの手で字を書きますか。
2. 字を書く方の手は、字を書くほかに、どんなことをしますか。
3. もう一方の手は、どんなことをしますか。
4. 手の働きと脳 の関係はどうなっていると思いますか。
5. 将来、人間の手の機能 は、どうなっていくと思いますか。
日本語には「分別 ができる」という表現がある。
この分別 はどのようにしてでき上がる のだろうか。
それは、直立 して自由に使えるようになった二本の手によってである。
言葉による思考 や推論 が発達する以前に 、子供は既に手によって分別 ができる。
人間の手は、脳 よりも一足先に 分別 し、考えるのである。
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立って歩き始めた子供は、身の回り のあらゆる 物に興味を持ち 、手で触れて回る 。
平らな 物、でこぼこ のある物、砕ける 物、ちぎれる 物、音を立てる 物、無言 の物、ぬれている 物、乾いている 物、触ると快い 物、不快な 物。
こうして 子供の手は、触覚 によって物の性質を知り、微妙な 差異 を分別 する。
赤ん坊の段階 では自分と物とは区別 されなかった。
即ち、物を分けることがなかったから、分かることもなかった。
分かるとは分けることなのだ。
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手で分けること、ここには既に植物学 や解剖学 などの根源 がある。
植物学者 は、野山 を歩き回って 、植物という 植物を採集 し、根気よく 分類 する。
解剖学 は、人体 の内臓 を切り分け 、細かい 部分にまで分け入る 。
こうした科学的 行為 も、さかのぼって みると、幼児 の歩行 と手の運動に源 があるように思える 。
人は、科学というと、 すぐ厳密な 論理 、法則 を思い浮かべる 。
それは確かに正しいが、本来は 物に対する子供の情熱 であることを忘れてはならない 。
しかも、それは、美 の探究 と同様に 、きわめて根源的な 情熱 である。
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