本文を読む前に、みんなで話し合おう。
1.古い家の写真を見てください。写真の下の方に四角いものがあります。これは、「いろり 」というものですが、どんな家にあって、何に使われると思いますか。http://www.db.fks.ed.jp/pic/20045.001/images/20045.001.00112.jpg
2.19世紀末 の日本では、何%ぐらいの子供が中学校に進学できたと思いますか。
3.何かに成功 するためには、どんなことが必要だと思いますか。
5 研究
その後 、清作 は、小林先生や友達のおかげで、左手の手術を受ける ことができた。
そして、治療の結果 、もとのとおり にはならないまでも 、かなり自由に使えるようになった。
清作 は、医学 のありがたさ をしみじみと 感じた。
そして、このことをきっかけ にして 、自分も偉い 医者になろうと心を決めたのだった。
清作 は、暇さえあれば 、勉強に励んだ 。
そして、上京 して医師 になるための資格試験 を受ける ことにした。
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東京に出た清作 は、どんな困難 にあっても 、望み を失わなかった 。
生活のため働くかたわら 、夜学 で受験 勉強を続け、試験に合格 した。
それは二十歳の時だった。
彼 の夢 はついに 実現 したのである。
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清作 のそれ以後 の足跡 をたどってみよう 。 21歳 伝染病 研究所に入る。名を英世と 改める 。 24歳 米国 に渡る 。(30年近く研究生活を続ける。) 25歳 蛇(へび)の毒 に関する 研究をまとめ、米国 の人たちに認められる 。 27~33歳 ロックフェラー 医学 研究所で蛇の毒 の研究を続ける。 34~38歳 医学 博士 の学位を受ける 。 病原菌 の研究を続ける。 日本に帰り、身内 の人々や恩師 と再会 する。 研究が高く評価 され、ノーベル賞 候補 になる。 39~51歳 黄熱病 の研究に熱中 する。 研究のため、中・南米 に渡り、アフリカにも行く 現地 の医師 の指導 に当たる 。 51歳の時、英世自身も黄熱病 にかかり、倒れる 。 |
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英世が葬られた ニューヨーク の墓 には、英語で“野口英世 。この偉人 は、科学に一生 をささげた 。
彼 は、全人類 のために生き 、全人類 のためにこの世を去った 。”と記されている 。
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